お金があっても不幸せ、でもお金がないと悲惨に不幸せ
人生の中でお金に価値の重きを置くことは そもそも不幸せだとは思います。 ただ生きていくためにはこれが必要なのでどうしてもお金を得るために働かなければならないことになります。 毎日生きていくためだけに必要なものが手に入ればいいというわけではなく、人は 備蓄が欲しいものなんですよね・・・。 少し休むためにも 備蓄は必要です。
それがいつしか どのぐらい 備蓄を持ってれば安心できるのか? どのくらい 備蓄を持っていること が力になるのか? などと どんどん 発展してしまい、 お金はあらゆる 価値観の中でもっともパワーを持つものになってきました。
そして人々は、人間の価値 そのものを「いくら稼げるか?」「 いくら持っているか?」で測ることにもさして恥ずかしいと 思わなくなっていきました。
もちろん 仕事を プラン しながらするのは大切ですし、 毎日働くのではなく 休みも必要です。けれども 人間の価値をお金で測るのは とても不幸せです。
確かにお金には 大きな価値があります。
人は何のためにお金を使うのかを考えてみると、生活するのにお金が必要なので、物を手に入れたり、サービスを受けたりするためにお金はたくさん持っている方がいいと思うのでしょう。 このベーシックな必要ー不必要な量や価値ではなく、お金をもっと 別の使い方ができることに気づいてしまいます。 たくさん持っていることによって満足感や幸福感、優越感、快楽、喜びや楽しみといったプラスの感情を味わえること。持っていないことによって不快や不満、不安といったマイナスの感情を解消・回避できなくなる、ということです。
私はずっとド貧乏で暮らしてきたので、 少し余分があると不安や不快を回避できるというだけにしか使っていない気がします。 たくさん持っている時に満足するということは多少あると思いますが、 快楽や喜びや楽しみというのに直結することがなく、 もう何年もバケーションに行ってませんが 特に行きたいと思っていないのかもしれません。 だって本当に行きたいなら行動化してますもんね・・・。(笑)
お金に行動を支配される人は不幸せまっしぐらで、 自分の価値観がずれていることがわかんなくなっていくんじゃないかなと 感じます。 それでも多くの人がお金持ちを認め、 そのパワーを崇拝するようなことが 資本主義になってからこっち ずっと、愚かな人たちに誤解されているような気がします。
残念なことに私にはギリギリで生活しているようなところがあるので、 お金がない人を お金をあげることによって助けることはできません。 ただ自立して 自分が必要な分だけお金を稼げるように助けることはできると考えています。
10代の頃からずっと好きな言葉が 【清貧】で、母には「 単なる負け惜しみでしょ」と 笑われていたこともあります。
【清貧】無理に富を求めようとはせず、行いが清らかで貧しい生活に安んじていること。
こんな言葉が好きだということはひょっとすると ものすごく お金にこだわってるのかもしれないのが私かもしれないです。 反省です。 ちょっと今日は色々考えてみました。







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